コロナの恐怖 第3幕か

今朝の新聞をみて、ちょっとゾッとした。大手外食チェーン店で店員に「安全マーク」をつけることを検討しているという記事が気になった。コロナの恐怖の第3段階に入りつつあるような気がした。


私にとって、第1段階はコロナウイルス感染症そのものの持つ「死」の恐怖だ。

第2段階は、未知の技術で作られたワクチンを打つという判断に対する恐怖だ。臨床試験を行わずに、政府が特別に許可することでワクチン接種が可能になった。医学的な裏付けは充分ではない。政府は政治的な判断をしたに過ぎない。政府が大丈夫といったから、ワクチンが安全になるわけではない。5年先10年先にどのような副作用があるのかは、現時点では、誰も知ることができない。私達の生死が、政治家の統治能力、判断能力に大きく左右されることを実感する。ちなみに、日本の感染率は2020年の段階では欧米諸国の20分の1程度だった。

第3段階は、今回感じた恐怖。「安全マーク」が店員のひとりひとり付けられることに対する恐怖だ。街には、妊婦を保護するためのマーク、障害者を優先するためのマーク、車の初心者や高齢者のマークなど、個人単位のマークはいろいろある。しかし、それらは社会的に保護しようという配慮の現れだと思う。「安全マーク」はそれとは逆のイメージを感じる。私は安全だ(ほかの人は安全ではない)。平均に対して劣後する人を保護するのではなく、平均よりも優れていることを誇る効果がある。それは、その企業の狙いは「顧客満足度を高めること」であって、恐怖を与えることではないことは理解できる。

多くの人が肯定的に捉えたとしても、逆に、肯定的に捉える人が増えて同じように「安全マーク」が社会全体に広がったら、やっぱり私は怖いと感じる。

※新聞記事は中日新聞8月19日朝刊。著作権保護等の観点から記事の一部のみを転載しています。

NPO法人 風舎

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